続日本紀・天平21年(749)2月21日条には「陸奥国始貢黄金。於是。奉幣以告畿内七道諸社」(みちのくの国よりはじめて黄金が献上された。そこで幣をたてまつって各地の神社に報告した)と記録されています。
聖武天皇は、これを「国家始まって以来」と大いに慶び、年号を「天平」から「天平感宝」へと変えました。その後、陸奥国守であった百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)は「陸奥国小田郡」より産出した黄金900両(約13㎏)を献上しました。
現在の涌谷町は、古代陸奥国の小田郡の範囲に含まれます。そして国史跡黄金山産金遺跡では天平年間に建立された仏堂跡が1棟見つかり、遺跡内を流れる沢からは今なお砂金が採取できることが確認されました。また遺跡の地に建つ黄金山神社は、産金当時にまで歴史をさかのぼることができます。日本初と称された古代小田郡の産金地の中心は、ここ天平ろまん館の地に限定されるのです。