黄金山産金遺跡から見つかる遺物の多くに、古代の瓦があります。
中でも下の資料は、遺跡にどのような建物があったのかを知る
ことのできる出土遺物として宮城県指定文化財に指定されています。
六葉重弁蓮華文軒丸瓦 偏行唐草文軒平瓦
【ろくようじゅうべんれんげもんのきまるかわら
へんこうからくさもんのきひらかわら】
瓦に用いられているデザインは陸奥国府の多賀城や陸奥国分寺に用いられた瓦と良く似ており、産金遺跡の建物は古代陸奥国が建てた建物であったと考えられます。
古代、瓦は官衙(役所)か寺院にしか用いられません。この瓦が持つ意義は奥深いといえます。
「天平」銘瓦製宝珠
【「てんぴょう」めいがせいほうじゅ】
粘土紐を巻き上げ、六角錐形に成形した瓦の破片です。
3カ所にヘラ書が認められ、うち1カ所に「天平」と文字を刻んでいます。
この宝珠破片の存在から、遺跡に建てられていた建物は寺院であったと考えられます。
また、軒丸瓦に見られる六葉のデザインとも合わせ考えると、六角円堂ではなかったかと推定されます。
「天平」銘丸瓦
【「てんぴょう」めいまるがわら】
玉縁のある粘土紐巻の丸瓦に、ヘラ書で「天平」と文字を刻んでいます。これにより「天平」と年号のつく年代(729~766)に建物が建てられたと考えられます。
古代陸奥国小田郡に含まれる地域にあって、河川では今なお砂金を採取することのできる山中に建てられた天平の仏堂。
遺跡に建てられてた六角円堂は、天平産金を記念し産金地に建立されたのではないか、と考えられています。