天平産金を慶ばれた聖武天皇の詔は、越中国守に任じられていた大伴家持のもとへも届けれられました。万葉集には、家持が詔に応じてよんだ「天皇の御代をたたえ産金を祝う歌」が残されています。(万葉集 巻十八 四〇九四~四〇九七)
歌の中で家持は、産金地を「陸奥の小田なる山」「みちのく山」とよんでおり、万葉集に登場する地名の中で最北・最東の歌となっています。晩年、家持は陸奥国府多賀城へと赴任しています。産金地・涌谷へも訪れる機会があったかもしれません。
現在、黄金山神社境内には、最北の万葉歌碑(左写真)が建てられています。
「須賣呂伎能 御代佐可延牟等
阿頭麻奈流 美知能久夜麻爾 金花佐久」
(すめろきの みよさかえむと
あずまなる みちのくやまに くがねはなさく)
天皇の御代が繁栄するだろうとて、
東国の陸奥山に黄金の花が咲きほこる
(万葉集 巻十八 四〇九七)