当時、奈良の都では東大寺大仏の造立が進められていました。
造立が進められる中問題となっていたのは、大仏が放つ永遠の輝きを、鍍金によって無事完成させられるかどうかでした。鍍金に必要な量の金が集まる見込みのないまま、工事は進んでいたからです。大仏の造立事業を進める聖武天皇も、「黄金が少ないと思い憂いていた」と後に述べています。
そのような中、天平21年(749)に陸奥国での黄金産出が報告されます。天皇は東大寺へと行幸して、「この黄金は、廬舎那仏や天地の神々がよしとされ、お慈みなさり祝福なさって産出したもの」と感謝の詔を発しました。
大仏造立に要した金の量は、全部で10,436両(約146㎏)と記録されています。産金より1,250年を経た現在も、わずかながら大仏には鍍金の痕跡が残されています。